拓殖大学

拓殖大学レスリング部



ABOUTTUWCについて

1900(明治33)建学以来、拓殖大学では課外活動を総括する全学的組織を”麗澤会(りたくかい)”と称しています。麗澤会には事務局・総務局・文化局・体育局の4局が設置されており、レスリング部は体育局に属しています。※”麗澤”とは、中国古典の「易経」に出てくる言葉で、”麗”は”附く”の意味で、二つの澤が附いて一つになれば互いに益することから、君子の交わりは朋友相共に学び励んで相益することを意味しています。一方で、池の形が似ていたひょうたんの意味もあります。

 

拓殖大学レスリング部(Takusyoku University Wrestling Club)

部長 伊藤啓太 所在地 東京都八王子市館町815(本部=東京都文京区小日向3‐4‐14)

監督 須藤元気(15代)                部員数 26人(2017年)

創部年 1938年(昭和13)年 OB数 約340人(別に物故者90人)

 

発足

第4代拓殖大学学長永田秀治郎(当時東京市長)が最初に口火を切って、1940(昭和15)年開催と決まったオリンピック東京大会(のちに戦争のため返上『幻の東京オリンピック』)を目指し、柔道部1年生の渡邊晶一郎が森下保信、上泉治(旧赤井)ら同志とはかり、さらに1年下の田村尹男らを加え、同好会から始まった。早大や近くの立大で教えを受けたのが1938(昭和13)年秋のこと。

学連加盟は1940(昭和15)年で、赤井が新人選手権1位、渡邊はバンタム級2位だった。リーグ戦は翌年、二部に加入し、日大、専大、立大と一緒だった。その年の暮れに大東亜戦争が始まり、翌1942(昭和17)年のリーグ戦と学生選手権3位を最後に渡邊らは繰り上げ卒業・・・入隊となった。

この戦争でレスリング部の海津末雄陸軍中尉は沖縄特攻で、早瀬豊海軍中尉は雷撃機「天山」偵察員(機長)だったが、硫黄島基地玉砕。麻布中学出身の森澤利行陸軍少尉も台湾北部で軍司令部偵察機を操縦、任務遂行中に戦死した。中崎精歩陸軍軍曹は郷里の宮崎県方面で敵機の空襲を受け、護国の鬼と化した。

 

沿革

戦後の復活は早い。マッカーサー(GHQ連合国軍最高司令官)指令によって、学校武道は相撲を除き、すべて禁止となったため、旧柔道部員たちがレスリングに拠り所を求めた。松島昭幸、松岡祐五郎の2人が上級生の神藤昭に、「レスリング部をつくりませんか」と進言した。

柔道家松岡3兄弟のうち、真ん中だけが拓大生で、長兄と末弟は立大レスリング部である。神藤は2人の案内で立大へ行き、練習方法を見学した。拓大はB29の空襲で体育施設を全焼されたので、校庭の一角とか、校舎の片隅に薄いマット2枚を敷いてブリッジ運動から始めた。ゴワゴワのシートが持ち込まれた。体は傷だらけである。

神藤が品行方正で模範学生のため、復員学徒の海軍飛行予科練習生らがレスリング部に参加した。その中に神田幸二、上原勇二郎がいた。勤労動員から解放された北岡太二も加わった。のちにトリオと呼ばれた拓大三羽ガラスである。

敗戦5年目、戦後初の渡米代表選考試合が青山レスリング会館で行われ、NHKラジオの実況中継に日本中が耳を傾けた。当時、学生ライト級のスターと呼ばれた霜鳥・矢田氏(明大)、伴氏(早大OB)を新鋭神田が破り、アメリカ遠征代表に決まった時は、まるでオリンピックへ行くような騒ぎとなった。

バンタム級(57㎏)の北岡は第2回全日本学生チャンピオンを射止めた。決勝の相手は当時注目の笹原正三氏(中大)だが、13分11秒(当時15分間ルール)、フォール勝ちした。笹原氏には社会人になってからも、のべ3回(内二回はフォール勝ち)勝ったはずだ。だが、1964(昭和39)年東京オリンピック以後、各大学競争は激化、のんきな拓大は取り残される。それから再建・復活への一歩を進むのだが・・・。30年もかかった。

1994(平成6年)4月、日体大の大学院を修了し、オリンピック2大会連続出場(ソウル、バルセロナ)グレコローマン世界3位(フランス・クレルモンフェラン)入賞の西口茂樹氏が拓大職員となり、文京キャンパスの体育振興室に配備された。拓大にとって初めての専門指導員。OB会は彼に全権を委ね、支援を誓った。

西口コーチは拓大強化方針として、日体大と同じ訓練法を課した。まず朝のトレーニング、彼自身が道場近くに新居を移した分、やがてグレコローマンで強くなるが、2002(平成14)年、フリースタイルでも東日本学生リーグ戦で初優勝を飾る。

2005(平成17)年、拓大スポーツは文京(茗荷谷)から八王子キャンパスに全面移転する。のちの2012(平成24)年ロンドンオリンピックで金メダルの米満達弘と銅メダルの湯元進一もこの時代の選手だ。14代西口監督兼任の時代も‐。米満の金メダルは1988(昭和63)ソウル大会以来24年ぶり。日本レスリング協会に拓大として初の恩返しができた。

すると、2013(平成25年)年4月、在職20年目になる西口体育振興部長・学生主事(教員待遇)は、突如、国際学部教授に任命される。同時に日本レスリング協会の男子グレコローマン強化委員長の要職も‐。現在は選手強化副本部長としてJOCに出向中そして拓大は2018(平成30)年6月、創部80周年に突入する。その記念式典は同年11月24日(土)茗荷谷キャンパスE館で「おかげさまで80周年!」をスローガンに、2020東京オリンピック前夜祭と目標を盛り上げる予定だ。

(文=宮澤 正幸)